神戸簡易裁判所 昭和33年(ろ)397号 判決 1958年12月08日
被告人 中西松太郎
主文
被告人を罰金三〇万円に処する。
被告人において右罰金を完納出来ないときは金六百円を一日に換算した期間労役場に留置する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(一) 罪となるべき事実
被告人は、神戸港内に停泊中の外国船々員から密輸入の外国製腕時計を買い入れ、これを税関に対する所定の手続を経ずに、秘に保税地域外に持ち出して関税をほ脱しようと企て、昭和三三年四月一二日正午頃、密輸入時計の買受け代金にあてるための現金一五〇万円を腹部に隠匿して、神戸港内第二突堤H岩壁に停泊中のノールウエー船プロジユース号の乗組船員の船室に赴き、もつて関税ほ脱の予備をなしたものである。
(二) 証拠の標目(略)
(三) 法令の適用
判示所為 関税法第一一〇条第二項、第一項、罰金等臨時措置法第二条(罰金刑選択)
労役場留置 刑法第一八条
訴訟費用の負担 刑事訴訟法第一八一条第一項本文
(四) 弁護人の主張に対する判断
(1) 弁護人等は、本件関税ほ脱の予備罪が成立するためには、最少限度密輸時計の買入行為が不可欠の要件であると主張するが予備とは行為者の犯罪の完成に向けられた犯罪意思の時間的発展段階のうち、実行着手前のこれに先行すると見られる行為であつて、構成要件に該当する行為を可能にし、容易にするが、しかもそれ自身は構成要件に含まれない行為をいう。実際的に如何なる行為をもつて予備とみるかは、具体的に個々の行為者が、計画し、実現した事実を個別的評価して、それが、前述のように犯罪の完成に向けられ、犯罪行為を可能にする実行著手前の行為と認めることが出来るか否かによつて決するよりほかはない。これを本件についてみるに、被告人が関税ほ脱の目的をもつて、外国船員から密輸入の腕時計を買い入れるため、その買受代金を腹部に隠して秘かに神戸港内に停泊中の外国船の乗組員の船室に赴いたことは、明らかに、右港内に停泊中の外国船々員から密輸入の腕時計を買い入れ、これを保税地域外に持出すことによつて関税をほ脱せんとする犯罪における、実行著手前の、かつこれを可能にする行為として予備罪が成立するものといわなければならない。なお弁護人主張の如く被告人が秘かに本件外国船に赴いたることが、関税法第二四条第二項の違反となることは勿論であるが、同条の違反と右被告人の行為が関税ほ脱の予備となるか否かとは又別の問題であるから、右関税法第二四条第二項違反の成否は本件関税ほ脱予備罪の成否に何らの消長を来すものではない。
(2) つぎに弁護人等は、被告人が赴いた船室には捜査の結果時計はなかつたものであるから、結果発生の危険性なく不能犯であると主張するが、不能犯とは、行為の性質上、一般的、抽象的に結果発生(構成要件を実現する)可能性のない行為をいうのであつて、本来犯罪の実行に著手後、結果が発生しなかつた場合において、その結果発生の危険性の有無を論じて、未遂犯と不可能的未遂(不能犯)とを区別せんとするために認められた概念である。したがつて、実行著手前の行為を問題とする予備罪においては不能犯を論ず余地はないものと解する。もしかりに、予備罪においてもなお不能犯を論ずる余地があるとしても不能犯の成否を、結果発生の一般的、抽象的危険性の有無を標準として考えるとき、たとえ、被告人の赴いた外国船の船内に腕時計が存在しなかつたとしても、それは被告人の予知しない偶然の結果に過ぎず、被告人が密輸時計の買受代金を所持して外国船に赴いた行為は、一般的、抽象的に関税ほ脱罪の犯罪遂行に可能な手段であり、かつ結果発生の危険性は十分に存在するから、不能犯ではなく、関税ほ脱の予備罪は成立するといわなければならない。
(裁判官 原正俊)